今月のコラム的な何か

  • とにもかくにも、生きていこう

平成最後の師走がやってきた。
今年をしめくくるネタは何が良いかと考えていたら、ふとある言葉が頭を掠めたので、それについて書こうと思う。

「とにもかくにも生きていこう」

この言葉は、私が高校三年生の国語表現(だったと思う)を担当されていた先生が、課題として生徒に書かせた小話を冊子にまとめた、その後書きに寄せたものだ。

彼女は教師というには気楽で、生徒を指導しようとは微塵も思っていないことがダダ漏れな飄々とした人だった。朝の校門検査(服装チェックとも言う)では所在無さげに突っ立ってるだけ、時々お気に入りの生徒に資料作成を頼んでは教材室でお菓子をつまんでダベり、授業はしっかりするけれど、生徒の反応を面白がってる節があり。まあ、つまりは私にとっては好感の持てる人物だった。

卒業間近に私が書いた小話が、彼女の興味を引いたらしい。
ある日お手伝いを頼まれたが、折しも都合がつかず、話す機会もないまま卒業した。

その冊子を読んだのが在学中だったか、卒業後かは曖昧だ。
現物はもう手元にないので確かめられないが、彼女の後書きは、当時の社会状況に触れ、これから先を予測し、卒業する私たちを祝福する流れで書かれたものであったと記憶している。

「とにもかくにも生きていこう」という、餞というには少々生々しい言葉は、私の何かを引っ掻いた。
うっかり読み過ごしてしまいそうな程で書かれていたそれは、だけども私には、とても異質なものに感じられたのだ。

彼女が何を経験し、何を思ってそれを書いたのか。
今ではもう確かめる術もない。
しかし、今この歳になってみてあらためて考えると、あの言葉は祝福だったのではないかと思い至った。
もしかしたら、あれは彼女なりの、純粋な祈りの言葉であったのではないかと。

現代社会は、ありとあらゆるものが猛スピードで進んでいく。
それについていくのも、いかぬのも、ある程度の選択肢があるように思えるのもまた時代だと思う。

だから私も言おうと思う。
どんなことがあっても、とにもかくにも生きていこうではないか、と。
祈りにも似た気持ちで、ただそう願う。

新井 みつこ 拝。

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